まだ東京に棲んでますが、何か?

緩くしぶとく生きてるお江戸ババァの忘備録。

自粛する派としない派の違いは人の成熟度だと思う

大きな災害があると、途端に無関係の地域でもイベンントを取りやめたりするお国柄ですが、どうもいつも「自粛するべき」「自粛しなくていいでしょ」で意見が割れる気がします。

 

ホリエモン VS 尾木ママとかw

 

ん〜、確かに隣で誰かが苦しんでたら、自分だけ元気に活動しづらいっていう気持ちはわかります。でもそれで苦しんでる人の助けになるのか?という現実的な話になるとそれも違うでしょってことになる。

 

で、これは「自粛するべき」「自粛しなくていいでしょ」の二つの意見の対立じゃない気がするのね。多分人の成熟度のレベルの差じゃないかと。

つまりこんな感じ。

f:id:oedobba:20160418184214j:plain

 

レベル1は他人のことなんかお構いなし。自分と関係ない人の痛みはあまり共感できないタイプ。社会的には困ったちゃん。

 

レベル2はモラルが高く共感性も高い。なので困っている人がいれば助けに行きたくなるし、悲しんでいる人がいれば一緒に悲しんであげるというとても素晴らしいタイプ。

素晴らしいんだけど、溺れている人を助けに行って一緒に溺れたり、役に立たないような援助を善意で行うようなこともあるわけで。それでもそれを美談として酔って語ってしまうのもこのタイプかな。

 

レベル3は困っている人の気持ちや援助の必要性を十分わかっていながら、だからこそ今何をしたらいいかを冷静に判断できるタイプ。自分の感情のコントロールができないとならないし、そういう気持ちを持ちながらやるべきことに集中するわけなので、一度に一つのことしかできないタイプの人とか、気持ちと行動が単純一致しないといられないタイプには難しい。
自粛を「基本的」としたのは、そのメリットとデメリットを図ってデメリットの方が大きければやらないという判断ができるってこと。でもその判断も「正しい」かどうかはレベル3なりの判断なので評価は分かれるかもね。

 

んで、レベル2から見ると、レベル3もレベル1に見えちゃうわけ。だから「信じらんない」「人として冷たすぎる」とか思っちゃうんじゃないかな。

 

んで、んで、これ、被災者側もこのレベルがあるわけで、イベント自粛しないで、経済活動や寄付に貢献してても、被災者側のレベル1とか2は「なんでぇ、俺らのことはほっといて自分たちばっかり楽しみやがって」みたいな気分になるけど、レベル3の被災者ならレベル3の人が自己中で活動していないことも理解できるんじゃないかと。

 

まぁ、いろんなタイプの人がいるからこそ面倒でも色彩豊かな社会であるわけなんだけど、現実に人が生きていくのに必要なものってさ、人情「だけ」でもお金「だけ」でもなくて、その両方なんじゃないの?