iPhone7発売の今、改めて iPhoneSEがアツい
3月にケータイ問題で悩んでいたワタクシ、その後どうしたかというと、やはり7万円近くする iPhoneSE には踏み切れず、デザリングができるコスパの良さそうなスマホ、ということで Zenfon2 Laser 新品を2万円でゲット。ついにスマホ生活になりました。
いや〜、いちいちモバイルWifiの電源入れなくていいのは楽っすね〜、デザリングできるのに、なんか iPodTouch の出番少なくない?とか思っているうちに...
壊れました。4ヶ月でスマホが。
丁寧に扱ってたつもりでしたが、マザーボードがいかれてるかもとかサポートの人に言われました。しかも個人売買だったので新品とはいえ保証期限外。修理にいくらかかるかと聞いたら2万くらいとな。( ゚ ▽ ゚ ;)エッ!!
ばっかやろ〜。
というわけでやっぱり iPhone だよね、と思ったのが8月の最終週。あと少しで iPhone7が出るというのに手にするまでの半月ケータイなし、ネットなしで過ごせるのか?
...という絶妙に不運なタイミングでつなぎのスマホを確保。
これです。もうやっすいのでいい!でもせめて国産メーカーさんので、と priori3 LTE を1万円でゲット。今度はちゃんと保証書が付いてるお店で。
モバイルWifiに電話が付いてると思うと結構使える。今後、もし新しいスマホ買って万が一壊れてもバックアップでこれ持っててもいいし。
それで iPhone7 をワクワクしながら待ってたわけですよ。
でも、いざ発表されてみたらなんか期待ほどじゃなかったというか、ガラケーがおサイフケータイだったにもかかわらず利用してなかった自分としてはメリットが感じられず...
そうしたら、なんと、知らないうちに iPhoneSE が値下げされてるじゃないですかぁ。49,800円(税抜)ですよ。発売時7万円くらいしてたのが!
しかし、使い始めると priori3 LTE も軽いし、デザリングもすぐできるし、iPhoneアプリは iPodTouch でサクサク動くし... iPhone8 までこれでい一か、という気になってきました。
ちなみに、スマホはやっぱり SIMフリーがオススメです。使い方にもよりますが、 IIJ MIO で通話5分以内なら無料のカケホ、6Gのデータ通信、SMS付きで3050円(税抜)。私は一番安いプランで済むので毎月 1600円(税抜)でスマホ生活やってます。これで次期 iPhone購入資金を貯めるぞ(笑)
なんでそんなに iPhoneがいいのかって?単に母艦が Macだから相性がいいからです。そんだけ。
『「感動エピソードはデマ」はデマ』で思ったこと
女子レスリングの吉田沙保里を破ったヘレン・マルーリスが吉田選手の優勝する姿を見て憧れを抱き、両親に反対されながらもついに憧れの選手と対戦して金メダルを獲得した…という話が「ネットにソースがないのでデマだ」と書いたブログが拡散された話。リソースはネットではなくTVだった。
もしこのTV報道が嘘なら本当にデマなんだろうけど、それを証明するのは「〇〇に情報がない」のではない。
デマブログの人、情報が正しいかどうか確認するためにちゃんとリソースを調べました、というのは良かったけれど、すべての情報がネット上にあることを前提に考えてしまったところが残念(><)
こういう頭の固いというか狭い思考の人っていますよね〜。
自分の周囲の人、見ているサイトの人が同じ意見だとそれが大勢で正しいと考えてしまうのもよくあること。
大抵は世間知らずの「子供」だけど、いい「大人」でもいるよね。自分は正しくないこともあると自覚して周囲の意見もよく聞くようにすればいいだけなんだろうけど、知らないことは知らないのでなかなか自分の知らないことへの想像力が働かない。
昔からそういう人をこう表現しています。
「井の中の蛙、大海を知らず」
実際に知らなくても、井の中であっても「大海があるんだろうな〜」と想像できる力があるかどうか、確かめようと井戸から一歩出てみる勇気があるかどうかが残念な人になるかどうかの分かれ目かも。
この一件で、デマブログさんが「みんなにわかってもらえなかった」じゃなくって「知らないことがわかった」とポジティブに捉えられているといいなぁって思いました。
自己投資と趣味の区別をつける
いわゆる「意識高い系」の人がよくその手の有名人のメルマガとかネットサロンなんかにお金を出して カモになって 自己投資して いたりしますが、それって本当に「自己投資」なのかなと思うこの頃。
いや、別に、好きな人の話を聞いたり書き物を読むのはどんどんやっていいと思うんだけど、金銭を伴うというのは、ある程度そのリターンを予測して、そのリターンにその金額が見合うかどうかを冷静に判断した方がいいのではないだろうかと。
投資はリターンがなければ失敗だし、趣味はやること自体に価値があるのでリターンはあってもなくてもいい。で、趣味につぎ込んでいい時間とお金の割合と、投資につぎ込んでいい時間とお金の割合って違う気がするんだよね。
とはいえ、自己投資と趣味の区別がつかない人はそもそも冷静に判断するのが難しい人なのかもしれないので、他人はほってといて、自分は間違っても、わけわからない人の信者になることは趣味であって自己投資じゃないと違いのわかるババァでいたいと思う。
被災者 VS 記者 は利害が一致していない感
いろんな対立軸で語りたがる昨今の世の中ですが、今度の話題は
被災者 VS 記者
なんですね〜。
まぁ、それこそそういうトラブルをわざわざ報道しないので今まではあまり知られてなかったかもしれないけど、今は誰でも情報発信できる時代だから、誰かの不都合なことは不都合じゃない誰かが公にしちゃう。だからよほどクローズドな世界じゃない限り
情報は隠しておけないわけで。
だいたい、被災者は超ストレスを受けているんだからイラついてて当然。もちろん冷静な人だっているけど、そもそもストレス耐性が低い人にそれを個人の努力が足りないせいとして語るのはどうかと思う。ある程度仕方ないことだよねぇ。
実は、熊本地震の時、たまたま九州に居たんだけど、その時現地のローカルTVで見てた情報、東京に帰ってきてから録画してた番組と比較すると、なんか東京のキー局の方が情報が多いというか、盛りだくさんな感じがしたんだよね。
ある意味災害報道に慣れているというか、何というか。
ただ、今までは、東京の報道局が中心になってローカルの情報を集めつつ、自分たちも現地に飛んで、状況をいち早く全国に伝える=>援助や災害対策へ貢献するという図式があったからこそ、多少の傍若無人ぶりとか俺たちが情報を伝えてやってるんだ的な態度があったとしても大目に見ていたのかも、と思うんだけど、
今や、あんたら何しに来たの?自分ところの視聴率稼ぎに来たんでしょ?
って感じがしてしまう。
これが多分 被災者 VS 記者 の根底に流れる意識のズレなんじゃないかと。
前述した通り、今や情報は当事者からも発信できる状況。だったら、それを手助けして、発信できない人や受信できない人への橋渡しをするのがマスコミの役割になってきてるんじゃないかと。
複数の局が同じところへヘリ飛ばしたり中継車を向かわせるんじゃなくて、全局分担とかして被災地や被災者への負担をできる限り抑えつつ共同で取材し、スタジオの解説員とか見せ方の工夫だけで競ってればいいんじゃないかと思う。
あと、よほどの中継が必要じゃない限り特別番組でずっと流し続けることない。
どうせ長時間TV見てる人はヒマな人で、ヒマな人はろくなことを考えないから。
もし病気療養中とかだったらなおさら見ないほうがいいと思う。
自粛する派としない派の違いは人の成熟度だと思う
大きな災害があると、途端に無関係の地域でもイベンントを取りやめたりするお国柄ですが、どうもいつも「自粛するべき」「自粛しなくていいでしょ」で意見が割れる気がします。
ん〜、確かに隣で誰かが苦しんでたら、自分だけ元気に活動しづらいっていう気持ちはわかります。でもそれで苦しんでる人の助けになるのか?という現実的な話になるとそれも違うでしょってことになる。
で、これは「自粛するべき」「自粛しなくていいでしょ」の二つの意見の対立じゃない気がするのね。多分人の成熟度のレベルの差じゃないかと。
つまりこんな感じ。
レベル1は他人のことなんかお構いなし。自分と関係ない人の痛みはあまり共感できないタイプ。社会的には困ったちゃん。
レベル2はモラルが高く共感性も高い。なので困っている人がいれば助けに行きたくなるし、悲しんでいる人がいれば一緒に悲しんであげるというとても素晴らしいタイプ。
素晴らしいんだけど、溺れている人を助けに行って一緒に溺れたり、役に立たないような援助を善意で行うようなこともあるわけで。それでもそれを美談として酔って語ってしまうのもこのタイプかな。
レベル3は困っている人の気持ちや援助の必要性を十分わかっていながら、だからこそ今何をしたらいいかを冷静に判断できるタイプ。自分の感情のコントロールができないとならないし、そういう気持ちを持ちながらやるべきことに集中するわけなので、一度に一つのことしかできないタイプの人とか、気持ちと行動が単純一致しないといられないタイプには難しい。
自粛を「基本的」としたのは、そのメリットとデメリットを図ってデメリットの方が大きければやらないという判断ができるってこと。でもその判断も「正しい」かどうかはレベル3なりの判断なので評価は分かれるかもね。
んで、レベル2から見ると、レベル3もレベル1に見えちゃうわけ。だから「信じらんない」「人として冷たすぎる」とか思っちゃうんじゃないかな。
んで、んで、これ、被災者側もこのレベルがあるわけで、イベント自粛しないで、経済活動や寄付に貢献してても、被災者側のレベル1とか2は「なんでぇ、俺らのことはほっといて自分たちばっかり楽しみやがって」みたいな気分になるけど、レベル3の被災者ならレベル3の人が自己中で活動していないことも理解できるんじゃないかと。
まぁ、いろんなタイプの人がいるからこそ面倒でも色彩豊かな社会であるわけなんだけど、現実に人が生きていくのに必要なものってさ、人情「だけ」でもお金「だけ」でもなくて、その両方なんじゃないの?
力技は素人でもできる
引きこもりの子をドアを破って力ずくで引っ張り出す支援団体とか、解雇に応じない社員を無理やり転職支援会社に出向させて転職活動を強要するとか、本人が納得しないまま動かそうとする話をよく耳にする。
まぁ確かに手のかかる人というのはいる。
話しても話しても話しても話しても話しても話しても話しても話しても話しても話しても話しても
「わかりません。納得できません。」
ということは、うん確かにある。
聴いて聴いて聴いて聴いて聴いて聴いて聴いて聴いて聴いて聴いて聴いても
「ちっとも私の話を聞いてませんね。」
と言われることだってある。
お前の説得にそんなに時間も労力もかけてられないんだよっ…っていう事情とか、逆にこっちの身にもなってみろと言いたくなるような状況だってある。
が、
相手を納得させずに力ずくで動かした時点で自分の敗北なんだよね。あぁ、負けたな、相手にじゃない、自分の限界に。プロフェッショナルとしての誇りに。
その惨めさに気がつかないのは痛い。
どうでもいいけどこんな製品があるんだね。
いい話なのか?
エンジニアになるのを夢みてミャンマーから新聞奨学生として来日した青年。親が田んぼを半分売って工面した生活費を副都心線の駅でうっかり落としてしまった。でもちゃんと届けられていて、日本人の誠実さに感動しているという記事があった。
http://mainichi.jp/articles/20160407/k00/00e/040/236000c
日本に来たばかりで親切な人たちに恵まれて、とても良い印象を持ってもらえたと思うけれど、それで警戒心を解いてしまって悪い人に騙されて、今度は悪い印象で帰国することになりやしないかと心配になってしまった。
ほのぼのいい話、という感じではあるけれど、「日本の良さに触れて感動する外国人」という構図は、「ほら、俺たちって海外の人にリスペクトされて凄くね?」みたいな、なんか自己肯定感の低い人の埋めあわせというか応急処置みたいな感じがしてもう食傷気味。
それにしても、本人にとっては全財産で相当な金額だと思うんだけど、それを駅でうっかり落とすってユルすぎだと思うぞ。